子供のころだれでも思う結婚式への憧憬
まだ中学生でウエディングプランナーなどという言葉がなかったころ、親戚の結婚式を見た時、なんてきれいなんだろうと感じました。
おそらく、年ごろの子供であれば、だれでも感じることなんでしょう。
こんな結婚式を挙げてみたいと思うのも、また必然だったことかもしれません。
これが、今につながっているわけではなく、ほんの些細なきっかけでしかありませんでしたが、とても心に残っているのです。
実際には、大学を出て教員過程をとったものの教師にはならず、広告会社で働き始めます。
といったところで、営業で外回りを続けるだけの仕事であり、なにか広告を作るというわけではなかったのです。
それでも、どこかの会社が少しでも利益を上げたり、集客を高められたりするのであればとがむしゃらに働いた時代でした。
このころには、子供のころ感じた結婚式の情景など思い出している暇もなく、ただがむしゃらに時間だけが過ぎていったのです。
生花店にあった花束が
きっかけになったのは、とある生花店に営業に入ったときのことでした。
こうした業界は、あまり広告など出しません。
それでも、まわってみなければわからないだろうと、飛び込んだ時のことです。
綺麗に飾られた花を見ながら、とても大きく飾られた花束がありました。
それは、これから結婚される方に、友人がサプライズで贈るために依頼された花束だったのです。
その美しさを見て、子供のころ感じた結婚式の情景が思い浮かびました。
結婚式の主役である新郎新婦だけではなく、いろいろな人の思いが交差していくなかで、本当はどんな形にしたかったのだろうか。
それとも、この形を望んでいたのであろうかと思い始めたのです。
ちょっと変わった視点だったかもしれません。
できることであれば、本当に望んでいる結婚式にするためには、いったいどんなことができれば良いのだろうかと考え始めたのです。
ウエディングプランナーとして
たまたま、ウエディングプランナーの募集があったことも大きな転機だったでしょう。
小さな結婚式場でしたが、前任がやめてしまったために、未経験者でも募集を掛けていたのです。
その時にこれはやるしかないと感じ、思い切って転職することにしたのが、今のきっかけです。
さまざまな経験を積むことができ、多くの人間関係も出来上がりました。
ウエディングプランナーとして、多くの知識を身につけることができたのも、実践で磨けたことが大きかったでしょう。
それだけではなく、海外のウエディングプランナーの働き方や知識などを勉強して、どうしたら本当に満足できる結婚式をプランニングできるのかを学びました。
結果として、さまざまな新郎新婦と出会い、支えられ、独立してフリーのウエディングプランナーになったのです。
これもきっかけであり、ベストなタイミングでフリーになれたと思っています。